緊張と静寂の幕開け
スタジオの扉が開いた瞬間、張り詰めた空気が一気に膨らむ。硬い足音を響かせながら、ひとりの若者が中央のスポットライトに向かって歩を進める。29歳、志願者・佐藤遼太郎。彼の目には自信と緊張、そしてまだ消化しきれない不安が入り混じっていた。
その時、虎たちはすでに構えていた。谷本氏は椅子に深く腰掛け、腕を組み、目線を佐藤に据えている。他の虎たちは資料に視線を落としながらも、彼の第一声を待っていた。
「失礼します。本日は、個人事業主やフリーランスのための“確定申告アプリ”についてプレゼンさせていただきます。」
会釈と共に始まったその声に、スタジオの空気が少しだけ動いた。
確定申告アプリが描く未来図
佐藤は、身振り手振りを交えながら説明を始めた。
「毎年の確定申告、時間も手間もかかります。僕自身もフリーランスとしてその不自由さを痛感してきました。そこで、誰でも簡単に申告ができるアプリを開発しました。」
彼はアプリの操作画面を映し出す。売上の自動集計、経費の分類、青色申告対応、節税シミュレーション——フリーランスを経験した者なら一度は「欲しかった」と思う機能が並んでいた。
「申告を“義務”から“武器”に変えたいんです。」
その言葉に、1人の虎が頷いた。しかし谷本氏の表情は変わらない。資料を一瞥し、静かに口を開いた。
違和感の芽生えと問いかけ
「ひとつ聞いていい?」
谷本氏の低く落ち着いた声が、場の空気を一気に引き締めた。
「このアプリ、君がひとりで作ったの?」
佐藤は少し口ごもるようにして答える。
「いえ、開発自体は外注です。アイディアと設計は僕が……」
その瞬間、谷本氏の視線が鋭さを帯びる。
「つまり君が手を動かしたわけではない。君にしか作れないという要素は、どこにあるの?」
佐藤の目が揺れる。思考が止まりそうになるのを必死で抑えながら、彼は言葉を探す。
「確かに開発は外注ですが、この課題に向き合ったのは自分自身です。フリーランスとして、ずっと感じていた“面倒さ”をなくしたくて——」
だが、谷本氏の眉は微動だにしない。
谷本の“切り捨て”発言とスタジオの凍結
「……それって、誰でも言えることだよね。」
谷本氏の言葉に、佐藤の声が止まる。
「“やってみたい”は、志じゃない。“俺がやる”という覚悟がないと、俺たちは金を出さない。」
一拍置いて、谷本氏は椅子にもたれた体をわずかに前へ。鋭い目が、志願者を真っ直ぐ貫く。
「もう呼ばなくていいです。」
その言葉は、スタジオにいた全員の体温を一気に奪った。誰もが息を呑む。空調の音すら耳に届かないほど、張り詰めた空白がスタジオを支配した。
志願者は立ち尽くしたまま、谷本氏を見つめていた。目は大きく見開かれているが、声は出ない。わずかに唇が動いたが、言葉にはならなかった。
他の虎たちが見せた“違う視点”
空気を変えようとしたのは、別の虎だった。
「正直、ビジネスとしてのポテンシャルはある。ただ、まだ“本気度”が見えにくいかもしれないね。」
別の虎も続けた。
「今のままだと、開発会社が主人公になってしまう。君がこのプロジェクトの“顔”になれる覚悟が、欲しかった。」
佐藤は小さく頷く。そして、搾り出すように言った。
「確かに、僕は“作った”というより、“思いついた”というスタンスだったかもしれません。でも、このサービスが必要だと信じている気持ちは、嘘じゃないです。」
敗退と静かなる決意
「本日は……ありがとうございました。」
そう言って、佐藤は深く頭を下げた。その背中には敗北の影があったが、同時に何かが芽生えていたようにも見えた。
扉が閉まる直前、谷本氏は一度だけ目を細めた。それが何を意味するのかは分からない。ただ、あの一言が志願者にとって大きなターニングポイントであったことだけは、確かだ。
第七章:この一言が問うたものとは
「もう呼ばなくていいです」
この言葉は冷たい拒絶のようでいて、実は“志”の試金石だったのかもしれない。自分の信じた道を、誰よりも先に歩き続けられるのか。その熱がなければ、虎たちは一切の妥協をしない。
番組を見ていたフリーランスたちはきっと、自分に問いかけたはずだ。
——自分のビジネスに、そこまでの“覚悟”があるか?
志が問われる場所、それが虎の間
虎たちは金を出すのではない。志に賭けるのだ。だからこそ、あの一言が突き刺さる。
そして志願者は、今もどこかで、あの静かな戦場に戻る日を目指して走っている。
次こそは、呼ばれる存在として。
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