元フリーアナウンサー、タレント。参政党所属の参議院の梅村みずほ議員がエホバの承認2世として悲痛な叫びを訴えている動画が物議を醸し、多く国民から賞賛の声が届いています。
以下、動画の内容を一部テキスト化したもの。
私は先ほども申しましたが、エホバの承認の二世なんです。“優しき者が必ずしも幸せな道に人を導くわけではない”と言うことを知っているんです。
小学5年生の時に、母は幸せになりなった。幸せな家庭を作りたかった。
そこに優しい信者が来たんですよ。彼女は悪意がなかったでしょう。けれども結果的に我が家は崩壊したんです。優しき者が正しき者とは限りません。だから優しいもの、イコール正しいものかって疑う目線を持つこと当たり前のことです。
私はこの国の国会議員として、やらねばいけない責務は何かと、ただひたすらに考えているんです。別にこんなバッチなんて惜しくないですよ。
もともと一般の世界からきました。投票もしたりしなかったりの普通の人間でした。だから普通の一般感覚に照らして、「おかしいな、なんでだろう」と思うことが山ほどあったから、子どもの未来が心配だから、ここに来たんですよ
この動画に視聴者からは
「この方とお話しがしたい。私もエホバの証人の母を持つ身として今も悩まされてる。」
「一緒に頑張る!私もエホバの証人2世でした。母が亡くなりやっと解放されました。」
「すごいな。魂の声だ。優しきものが正しいとは限らない。至言ですね。」
「深いなぁ。苦労したんだろうなぁ。頑張れ!」
「梅村みずほさん!貴女の話は国民にわかりやすく丁寧です。応援してますよ!」
「素晴らしい。私もこのような女性になりたい。」
と言った彼女を賞賛する声が届いている。
この動画が多くの人の心を打ったのは、政治的な主張以前に、「一人の人間としての痛み」と「子どもの未来を案ずる気持ち」が、あまりにも率直な言葉で語られていたからではないでしょうか。国会議員という立場でありながら、肩書きや立場を一度脇に置き、自身の過去をさらけ出す姿は、見ている側に強いリアリティを感じさせました。
宗教二世という問題は、当事者でなければその苦しさが理解されにくく、また家庭や信仰といった極めて個人的な領域に踏み込むため、声を上げること自体が難しいテーマです。周囲からは「親は悪くない」「信仰の自由だ」と簡単に片付けられてしまい、当事者の葛藤や傷つきが見過ごされてきた側面もあったのではないでしょうか。
梅村議員の語った「優しき者が正しき者とは限らない」という言葉は、宗教の問題に限らず、私たちが日常の中で無意識に信じてしまっている“善意”や“正しさ”そのものに、一度立ち止まって考えるきっかけを与えてくれます。善意が悪意なく人を傷つけてしまうこともある。その現実を、感情論ではなく自身の体験として語ったからこそ、多くの人の胸に刺さったのだと思います。
また印象的だったのは、「バッジなんて惜しくない」「普通の一般感覚でおかしいと思ったからここに来た」という言葉です。政治の世界に身を置く人の発言としては異例とも言えますが、だからこそ、政治を遠いものと感じていた人たちの心にも届いたのではないでしょうか。投票に行ったり行かなかったりしていた“普通の人”が、子どもの未来を心配して声を上げる。その姿は、多くの視聴者にとって自分自身を重ね合わせる存在だったはずです。
この動画に寄せられたコメントには、同じ宗教二世としての苦しみや、ようやく解放されたという声が数多く見られました。それは単なる賞賛ではなく、「自分の気持ちを代弁してくれた」という切実な共感の表れでしょう。梅村議員の発信が、これまで語られることの少なかった声を可視化し、社会全体で考えるきっかけになっていることは間違いありません。
この問題をどう捉えるか、どこまで踏み込むべきかは、今後も議論が続いていくはずです。しかし少なくとも、この動画が多くの人に「自分の経験や違和感を語ってもいいのかもしれない」と思わせたこと、その一歩を後押ししたことの意味は、決して小さくないと感じます。

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